息子が小学生の時に、何か顔に押し当てられて数人の子供たちにいじめられていた、
と友達が教えてくれました。
いじめ、それは大変なことだ、中学生の男の子なんて、私には太刀打ちできなくなる。
小学生のうちにガツンとやってやろうと、
息子に問いただして、いじめていた子たちに説教した。
小学生とはいえ、高学年の男の子なんで、私も甘くみられるとまずいと、
気合が入り過ぎたかも、
3,4人の子たちそれぞれに当たて行ったんだけど、どの子も泣いてしまって、
後からなだめるのが大変だった。
そんなことがあって、その後、息子がいじめられたかどうかはわからないが、
とりあえず、大学からこの家を出て、つつがなくひとり暮らしているようだ。
憶測でしか言えないのは、詳しい話をする子ではないし、私も詳しく聞かないし、
話してくれれば聞きたいが、話さないので聞かない。
それから、私の小学生時代のことを思い出してみた。
よく教壇に立って、人形を紐で負ぶって、
一節太郎の浪曲子守唄を歌っていた子がいた。
多分当時はやっていたのだろう。
その子は、人形を使ってその唄を身振り手振りで歌っていた。
彼は歌うことに、その日一日かけていたのではないか
と思うくらいの力の入れようだった。
お母さんは、人形やおんぶ紐などを用意してくれた。
一家で歌うことにかけていたのかもしれない。
小学校は駅まで5分くらいの便利な場所にあった。
駅のすぐ後ろにフェリー乗り場がある。
そこから船に乗って通ってくる子がいた。
台風が来そうなときは、荷物をまとめて急いで島に帰った。
私は島の暮らしというものが想像できず、島から通ってくる子に、
想像を膨らませていた。
その黒髪島という島では、良質な御影石がとれた。
彼の父は石の採掘をしていた。
5年くらい前に私は用事があって徳山に行った。
早く用事が終わって、フェリー乗り場を駅から眺めていて、
思い立って、そのフェリー乗り場から船に乗った。
船の行き先は大津島。
戦争中、回天、人間魚雷の練習基地のあったところだ。
訓練基地だったとはいえ、その訓練中にも尊い命が海に散ったという。
大津島への船に乗ったら、途中、この黒髪島があった。
もう誰も住んでいないそうで、船は黒髪島には寄港しなかったが、
かつては、その島民のための足になっていたのだろう。
私の同級生も、大津島へ行く船に乗って学校に通っていたのだろう。
毎日、船に乗って学校へ来て又島に帰っていたのだ。
私は、チョットだけあの頃の彼を感じられた。いつか、黒髪島に行ってみたいなあ。
今は採掘の船以外島に行かないというが、
あの子はふるさと黒髪島に帰ることはあるのだろうか。