初めての挑戦・石積み

ずっと石積みをしてみたいと思っていたのですが、
難しそうなので、私一人ではできないと、あきらめていました。

でもいつか石積みしようと、知人などにいただいて石をコツコツ集めていました。
石もだいぶあるまってきたし、思い切ってえいやっと、やってみることにしました。

まず一番下に大きな石を置く。
その石を安定させるために、下の地面を少し掘って石を埋め込みます。

それから、石を積みための斜面の石の間には小石を入れます。
水はけがよくなり、積んだ石の柔軟性などもできるようです。

私は根本的に間違えているのですが、積む石は横にして使うようです。
そうしないと石の安定が悪いのですね。

ただこうするとかなり石が必要になりますが、仕方ないです。

私は石を立てて使たので、多分、石垣は崩れやすいと思います。
今回は、たくさん失敗しましたが、これは練習だと思って、
今回学んだことを
この石積みが崩れたら、もう一度トライします。

とりあえず
専門家の方には突っ込みどころ満載の出来ですが、
楽しい石積みが出来ました。

長崎原爆投下数日前に疎開した9歳の少女法子さんの記憶

お父さんに執拗に強要されて、法子さんたち4人は、浦上地区を後に熊本へ疎開した。
その2週間後、ぼろぼろになった17歳の姉が長崎からやってきた。

そこで初めて、ふるさと長崎がとんでもないことになっているとわかった。
父の同僚によって遺体は見つかり荼毘に伏された。。

それから長崎からやってきた姉は、皆様ありがとうございましたと礼を述べ、静かに息を引き取った。

疎開した日、駅に見送ってくれた武子ちゃんは、
叔母さん、髪がぬくっとよ、
とごそっと抜ける髪を遺骨を引き取りに行った母に見せたという。
その後、お母さんが迎えに来たと言って亡くなった。

突然疎開を言い出した父は戦艦武蔵のスタッフだった。
そういう関係で何か情報があたのかもしれないと法子さんは思っています。

兄は志願して特攻隊に入った。
3度の特攻の機会を免れた。

戦後、その兄は、同僚たちの家族に会いに行き墓参りをし、
戦争をしてはいけないという思いで、自分の体験を公演していた。

疎開するまでは同じ境遇だった同級生たちは、ほとんど亡くなった。
その後にあったはずの9歳の少女たちに思いをはせる。

彼女は体験していないからと、口を閉ざしていたが、
生きている自分が亡くなってしまったみんなの代わりに語る義務があると最近思うようになった。

ぜひ皆さんも、法子さんの体験を共有してください。
あったはずの楽しい日々を奪われた9歳の子たちのことを
みんなに感謝して亡くなった17歳のお姉さんのこと、
ほか、
たくさん消えていく命。
戦争はみんなで防げることです。

何も悪いことをしていない人たちが、どうして爆弾に逃げまどわなければいけないのでしょうか?
どうか、戦争はしないでください。

タンポポの葉でお好み焼き

タンポポの葉をたくさん入れて、チヂミ風お好み焼きを作りました。
最近は、物価も高騰してきましたので、家計を助けるため、葉物野菜を購入しないで、
その辺の道端の草を食べるようにしています。
また、来るかもしれない食糧危機にも備えるべく、草を食べる練習をしていきたいと思います。
タダで、
とても栄養のあるものがたくさんあります。
皆様、これから私と一緒にどんどん 勉強していきましょう。

それから、木の芽の佃煮を作りましたが、芽が大きくなっているので、
少し筋を取るとか、切り刻むとかしたほうが食べやすいいです。
まだ大丈夫でしたが、新芽でない物は、草も含め、お湯で湯がいて、少し水にさらしてあく抜きしたほうが良いかもしれません。
食べてみてアクが強かったら、そうしてください。