私の田舎暮らしNO1

私は、高度成長期の時代を地方のコンビナートの街で、大きくなりました。
ブルトーザーガンガン走らせ、山を削るのが正義の時代。
コンビナートの煙突からは、煙が誇らしく昇っていました。
私は、そんな昭和の申し子!The,ShouwaBBAでございます。
自然一杯の毎日ド田舎暮らしの生活経験は、27歳までありません。
唯一、夏休みに中国山地の母の実家で過ごす、田舎暮らしがとても楽しみでした。

そういう田舎にあこがれを持っていた私ですが、
若いうちは、刺激のない地方都市の暮らしに飽き足らず、
東京に行けば、たくさんの刺激にぶち当たるだろうと、
後先考えず、
突然、上京しました。
その後、約8年くらい経過後、

田舎暮らしを27才の時に決めて、
その拠点を探しました。

田舎暮らしは、囲炉裏と五右衛門風呂とかやぶきの家と、
なんとなくイメージしていました。

そして、古い家で、昔の人がそうであったように、
愛する家族のために着物や敷物などの布を織る。

味噌や醤油、梅干し、などを作る。
そういう生活の伝達者になれればいいなあと思っていたのですが、

よく考えてみたら、私に家族はなく、コミュニケーションをとるのは苦手、
まあ、
恰好のみの、伝達者ぶりっ子だったような。
伝達者になるには、そういうとこに嫁に行くのが一番いいだろうけど、
私の性格では絶対無理。

よって、
やってることはただの
自己満足ってことかなあ(/ω\)

まあ、いいか、
あんまし考えんようにしましょう。

授かった命に感謝し、世界に一人の自分に感謝し、
日々暮らしていることが、
いつの世でも、
私たち一人一人が、時代の伝達者なのでしょう。
て、ことで、、、、、、、。

ともあれ、
思い立ったので、すぐに物件を探し始めました。

まず、富士山方面へ、
大月から富士急行に乗り換える間があったので、大月の街を歩いていたら、
不動産屋があって、
こんな家ありませんかと、
尋ねたら、あるよと言われて、
その足で見に行きました。

その家は、
私の想像していた大きな屋根が縁側まで下りている日本昔話のような、
中国山地の母の実家のようなものではなく、

屋根は短く、建物に対しては、小さい。
養蚕室のある2階建てで、
建物が険しくそそり立っているような感じでした。

季節は、たぶん11月くらいだったのかなあ。
畳には、無人だった家の年月分のほこりが積もっていた。
意を決して、靴を脱ぎ上った畳は、とことん冷たかった。
家全部が、
人が住むことを拒んでいるように見えた。

しかし、
当時の私は、
この家に住むことが、どこかからの任務に思えた。
一人、上京した時のように。

数日後、当時付き合っていた夫と、友達夫婦にこの家を見せました。
みんないいじゃない
と軽くいったように思いましたが、
後になって、
この家を始めてみたときは、
一人で、この家に住むなんて、
と、
えらく驚愕したと、3人とも言ってました。

それから、
動画の中に出てくる文化住宅ですが、
皆様ご存じないでしょうが、
私の子供時分、なんでも、文化をつけると、
ハイカラだったんです。
文化鍋、文化包丁、文化住宅、文化刺繍、
文化は魔法の言葉。

私、文化って好きかも。

では、古い家に住むまでのお話でした。
次回は、
第2話
古い家での田舎暮らし、
お風呂、虫やネズミが出た話、囲炉裏のこと、
隣近所や大家さんとの関係などの
田舎暮らし全般についてです。

第3話は、今の家、森の中の暮らしになります。