私の田舎暮らし2集落の古民家の暮らし

約40年前、東京から、
集落の古民家(当時築100年以上)に移住しました。
ここへ住む経緯は、「私の田舎暮らし1」にありますので、参照してください。
このご時世、
田舎暮らしの人気が上がっているように思います。
集落の古民家暮らしと、
その後の森の暮らしを体験している私の経験が、
これから移住を考えている皆様に、
少しは参考になるかもしれないと思って、
私の田舎暮らし3話を作ってみました。
まず、田舎で生きるために、
生活費を稼ぐ方法を考えました。
本当は、
田舎とは言え、バスに乗って町へ出れば、
何かしら生活費は稼げたかもしれませんが、
そういうことは思いつかず、家で稼げる方法、ま、内職みたいなものです。

大島紬を知り合いが織って稼いでいたので、それを習いに3か月間行きました。
いわゆる賃機(ちんばた)というものです。
織れる状態になっている糸を受け取りそれを機にかけて、織るものです。
それから、
小さいメーカーの糸を染めをしました。

この2つで月に10万なんて稼げなかったと思います。
でも、
それほどお金は使わなかったので、何とか生きて行けたようです。
必要経費は、
家賃25000円くらいだったかなあ。
水は裏山から引きこまれていたのでただでした。
下水もパイプで下の溝に直通で流れてました。
プロパンガスは、一個買いでした。
今は、基本料金プラス使用量に応じて取られますが、
中身のみの一個買いはかなり得です。
このシステムは今はないようです。
後は、電気代と冬の灯油代と電話代。
五右衛門風呂をたくために、
製材所から不要になった木材の木っ端を購入していました。
2トントラックで2,3000円だったかなあと思います。
それからトイレの汲み取り代。
そのくらいだったかなあ。

プラス食費、
当時かなり酒をたらふく飲んでいたので、恐ろしいことに、
酒代はかならかかっていたかもしれません。

田舎で車なしで生活するのは、かなり不便ですが、
当時私は、免許を持たなかったので、
食物は、バスに乗って、町のスーパーに買い出しに出掛けてました。

バス停から家までは、少し距離があったので、大きな荷物を下げて、
歩いて帰るのは、少し大変でしたが、
お金がかかるし、車がほしいともあまり思わず暮らしていました。
家について
とにかく寒い家でした。
家は8畳くらいの畳の部屋が田の字に、
3畳くらいの納戸を囲ってありました。

五右衛門風呂は寒かった。
冬は、寒い家で体が冷え切っています。
冷えた体に合わせた湯加減は、実はぬるい。
そのうち体が温まってくると、ぬるい湯だと体が寒くなる。
一人なので、追い炊きできない。
そこで考えた!
まず、
大きなたらいに、すっごく熱い湯を沸かしておいて、
体が温まったら、それを足します。
当時考え付いた、一人追い炊き方法でした

それから、避けて通れないトイレの話です。
汲み取り式のトイレだったわけですが、
大家さんが、私が住むにあたって、つぶれてしまっていた、
トイレの穴を掘り返したらしくて、その容量は小さかったです。
よって、すぐにたまって、私のお尻に、私のものが跳ね返ってきました。
これは、かなりの恐怖です。
その穴も小さくすぐに、排泄物はたまります。
汲み取りをお願いしても、なかなか来てもらえず、
このトイレは、本当に大変でした。

流せば目の前からなくなる。
当たり前のようで、当たり前じゃない、
このシステムを享受できること、
あらためて多くの人々に感謝したい。

大家さんに、借家人なので、町内会の田舎版のような
組組織には入らなくてよいといわれました。
それでも、ごみは組のごみ集積場に捨てて良いといわれました。
大家さんは、この家が生まれ育ったところなので、
とても愛着があったのではないかと思います。
草取りをしない私に変わって草取りをしてくれたり、
でも私も、好きな草花を植えていたので、
大家さんから見たら、雑草ぼうぼうのような庭になったかもしれませんが、
それなりに、愛着はありました。
知らぬ間に、私が植えた草がなくなっていることもありました。
私には、お爺さんとの戦いのように見えましたが、
それなりにお爺さんは私のために、やってくれてたんだと、
今は思います。
しばらくしてお爺さんは、亡くなりました。
きっとこの生まれ育った家が、心配だったのでしょう。
今なら仲良くできるんですけど、その時の私には、
できませんでした。

それから、年一回の消防団の出初式の時に、各家を放水します。
その時に消防団にお金を払うように言われました。

この消防半纏羽織った消防団が、彼らの消防車で屋根から派手に放水しました。
家に虹ができるほど派手なものでした。
私は、放水と虹を飽くことなく見とれていました。

どんど焼きの数日前になると、
隣集落の鎮守の森に、
しだれ枝をたくさんつけた大木がたちました。
枝にはカラフルなダンゴのようなmのが沢山ついていました。
私の家から見える、村の伝統を受けて立っている大きな木はとてもきれいでした。

毎年順繰り同じように行われる、
人々が受け継ぎつけ渡す村の行事を
感じられたことは、しあわせでした。

集落住まいに不安を感じる方は、やめたほうが良いと思います。
私は、何も知らなくて、
無鉄砲にとびこんでしまいましたが、
たまたま、周囲の方が良い人たちでうまくいきました。

次から次に繰り返される人々の生活あるいは伝統の伝達者の一員になりたい方は、
飛び込んでみてください。

あなたが心底望めば、きっと、受け入れてもらえるのではないでしょうか?