長崎原爆投下数日前に疎開した9歳の少女法子さんの記憶

お父さんに執拗に強要されて、法子さんたち4人は、浦上地区を後に熊本へ疎開した。
その2週間後、ぼろぼろになった17歳の姉が長崎からやってきた。

そこで初めて、ふるさと長崎がとんでもないことになっているとわかった。
父の同僚によって遺体は見つかり荼毘に伏された。。

それから長崎からやってきた姉は、皆様ありがとうございましたと礼を述べ、静かに息を引き取った。

疎開した日、駅に見送ってくれた武子ちゃんは、
叔母さん、髪がぬくっとよ、
とごそっと抜ける髪を遺骨を引き取りに行った母に見せたという。
その後、お母さんが迎えに来たと言って亡くなった。

突然疎開を言い出した父は戦艦武蔵のスタッフだった。
そういう関係で何か情報があたのかもしれないと法子さんは思っています。

兄は志願して特攻隊に入った。
3度の特攻の機会を免れた。

戦後、その兄は、同僚たちの家族に会いに行き墓参りをし、
戦争をしてはいけないという思いで、自分の体験を公演していた。

疎開するまでは同じ境遇だった同級生たちは、ほとんど亡くなった。
その後にあったはずの9歳の少女たちに思いをはせる。

彼女は体験していないからと、口を閉ざしていたが、
生きている自分が亡くなってしまったみんなの代わりに語る義務があると最近思うようになった。

ぜひ皆さんも、法子さんの体験を共有してください。
あったはずの楽しい日々を奪われた9歳の子たちのことを
みんなに感謝して亡くなった17歳のお姉さんのこと、
ほか、
たくさん消えていく命。
戦争はみんなで防げることです。

何も悪いことをしていない人たちが、どうして爆弾に逃げまどわなければいけないのでしょうか?
どうか、戦争はしないでください。